Demon's日記(Demonの悪あ餓鬼)~Web Designers Diary~ -28ページ目
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【Demon】少年期 変化の兆し

ある時私は上級生の体育祭の練習に混じる事となった。どうやら人数が不足しているらしく、私がクラス代表だったので行かされた。

しかしそれが今後の人生を大きく変えた。

体育祭は上級生は組体操をやるらしく、ある一つのグループに私は入れられた。そのグループを見て私はゾッとした。世間一般に言われる不良の集まりだった。私はここでも虐められると思った。しかしその中でもリーダー格の存在の本先輩は私をこけにすることは無く。普通に話しかけてくれた。私は普通に話しかけられたのは、中学入って初めてくらいだ。すごく驚いたが、平然を装い話を合わせた。

それをきっかけに私は本先輩と話す事が増えた。本先輩は髪型は角刈りで後ろ髪が少し長く、茶髪。私の学校はまじめな学校だったので、それだけでも異色に思える存在だった。私はそれから一緒に先輩達とつるむ日々が続いた。虐められることも無く、クラスメートより断然私は存在できる場所だった。馬鹿にされるときも有ったが、笑いに変わるような馬鹿にされかたで、私は心底楽しかった。

そして私は段々先輩の真似をするようになり、クラスメートなどから私が馬鹿にされることも無くなりだした。完全に無くなったのは私を虐める一人の子に対し私は切れ、首を絞めながら持ち上げた事だろう。人間切れたら異常な力が出る物だ。

私は生まれ変わった瞬間である。虐められるくらいなら、相手を力でねじ伏せれば良い。

【Demon】少年期 変化を求めて。。。

私は中学生になった。勉強は相変わらず嫌いだったので普通に受験はせず、普通の中学に通った。いや、中学受験なんて考えられるレベルでは無かったのかも知れない。

私は小学校からの推薦といわれ入学早々クラスの代表となった。良いことは何もない、小学校から引き継ぎで虐めも一緒にやってきた。他の小学校の生徒にまでそれが広まり、私をこけにする人間はさらに増えた。そんな人間が代表なんてやれるもんじゃない。私はその頃には虐められても笑っている人間となった。

私は、変わりたかったが変わり方を知らなかった。

部活動はバレー部に入部した。別にやりたかった訳ではない。仲の良かった子が入ろうと言ったから入っただけだった。私の学年の友達の一人、岩くんは上級生から特別視されていた。岩君には兄がおり、上級生の先輩にあたる訳だ。それだけの理由で特別待遇を受けていた。もちろん顧問も同じように。私は矛盾を感じていた。練習はした。しかし私は運動が人一倍出来るわけでもない。私はその矛盾の中、意味も考えず練習していた。万年補欠存在価値無し、役に立つのは球拾いくらいだろう。顧問は私に部室の掃除をさせた。部員は他にも沢山いる。しかし私がなぜ掃除係なのか分からない。全てに嫌気がさした。

変わりたい。。。

【Demon】少年期 スリルゲーム

私は小学生高学年になって、又塾に通うことになった。今度は自分から言い出したのだ。地元にあった「エディック」という塾だった。

その塾には仲の良い子が沢山通っていた。その時私は普段から虐められる事から抜け出したいと思うが抜け出せない自分と戦っていた。

ある時私は姉の持っているシャープペンシルを借りて学校に行った。すると、そのシャープペンシルは高い物で人気があるらしく、その時私は羨ましがられた。

私はそこから抜け出せる兆しが見えた気がした。

お金は無い。。。親は買ってくれるわけも無い。。。万引き。。。。

私は塾に通っていた親友の和君と祐君と一緒に万引きツアーと名付け文房具を片っ端から収集し始めた。高額な商品をてにし、友達にあげることで私は偉くなった気分になった。万引きはエスカレートし、何でも手に触れる物は盗める物と思い始めた。そしてその盗むときのスリル感が癖になり。何でも盗んだ。

しかし虐めから抜け出す事は出来ずむしろ、調達係みたいな存在となりより厳しい立場となった。。。

【Demon】少年期 虐めの実態

私は塾を辞めたが、小学校では成績は良い方だった。カンニングで塾は成績を上げたが小学校では塾ほど勉強のレベルが高くなく、普通に高得点が取れた。周りは遊んでる中私は勉強しかしてなかったから当然だろう。

しかし私は周りとうち解けることが出来なかった。

そのころ自由帳に漫画を描くのが流行っていた。私は絵を描くのが好きだったので沢山描いた。その時ふと気づいた。絵を見ながら私を笑ってる人たちがいた。私の当時の髪型はボリュームが無くペタッとしており、頭頂がとんがっているように見えた。周りの人はそれをネタに漫画を描きだしたのだ。

そしてその頃米不足という問題が発生し、タイ米という言葉が世の中に広まった。私のあだ名はタイ米となった。私はすごく嫌だったが、クラス全部どころか学年全部に広がり、私は逃げることも出来なかった。みんなからそう呼ばれ笑われ続けた。誰も助けてくれることも無く、私はひたすら耐えていた。

黒板にタイ米の絵を描きながら私を見て笑う周りの目を。。。

【Demon】少年期 カンニング。。。

私は小学生になった。

神戸市立の普通の小学校。私は小学校では、ずっと勉強をしていた。

当時中学受験の為に塾に通っていた。進学率が高いと言われ有名だった「浜学園」という塾だった。頭に鉢巻きを締め、ひたすら勉強する塾だった。

私がそこに入った理由は親がゲームを買ってくれると言ったからである。その時はその辛さを考えず、目先の楽しさの為に選んでしまった。私の親がゲームを買ってくれるなんて私には予想出来なかった事だからである。

しかし私は勉強が出来る人間では無かった。しかし得点を取らなければ先生にも怒られる。塾にはクラス分けがされており上のクラス下のクラスと分けられていた。そんな時私が塾で高得点をとる方法を思いついた。

カンニング。。。

情けない話だがそれしか思いつかなかった。まじめに出来なかった。クラスで一番頭の良い子の隣だったので私の順位は恐ろしい勢いで上がっていった。大人は分からない物だが、塾の友達は気づいていた。私は虐められた。

私はどんどん成績が上がると共に塾には行けなくなった。成績はカンニングで上がるが中身は変わらなく、上のクラスになったが、授業内容を理解出来るわけがなく、しまいには神経性の胃炎になり、塾を辞めた。

【Demon】幼年期初めての犯罪。。。

私はその当時初めて法的に触れる罪を犯した。万引き。。。
大げさかも知れないが犯罪は犯罪である。。。

その時期お菓子に付いてくるシールがやたらと流行していた。幼稚園だった私にはもちろんお金は無い。友達の中には沢山シールを持ってる人間はいた。私は欲しくて欲しくて仕方なかった。その時幼稚園の友達の一人が万引きを言い出した。その時話をしていたメンバーが5人くらいはいた。しかし何のためらいも無く、私たちはスーパーのお菓子を服に忍ばせ万引きをした。罪悪感よりも楽しかったのを覚えている。自分の欲しいのもが簡単に手に入るのだから。。。

夕方になり友達と別れた時、私は帰り際帰路が同じだった友達と再び同じスーパーに行き、さらに万引きを繰り返した。人より一枚でも多くシールを持ちたかった。。。

家に帰ってもちろん親に聞かれた。私は平然と友達にもらったと言った。しかし他の友達が親に真実を語ってしまった事により私の家に電話があり、私の嘘は、ばれた。父親は真っ赤な顔をして私は殴られた。私は大泣きし、スーパーに誤りに行った。親も一緒に頭を下げていた時初めて辛くなった。

【Demon】幼年期

私は幼稚園に入った。仏教の色が強く、大きな仏像のある講堂が有ったのを思い出す。私はそこで初めて親友が出来た。後に付き合っていく友達も幼稚園で知り合った仲間が多かった。

親友の名は和君。彼は家に最新のゲームがあったり、小さな滑り台が部屋に置いてあったりと目新しいものを沢山持っており、羨ましいと思ったことが多い。私の親はゲームには賛成出来ないタイプの親だったので、初代ファミコンを買ってくれた以外ゲームは買ってくれなかった。遊びはほとんどレゴブロックというブロック遊びが主だった。

和君と遊ぶ時は忍者ごっこが多かった記憶がある。私は戦隊物のリーダー格のキャラが好きでいつでも強さにこだわった。幼少の頃、そういう子は多いだろう。しかし和君は違った。私が「青金忍者参上!!」と言ってイメージの的をバッサバッサと切り倒している時、彼は「カネッチャー」と名乗り、お金を配ったりアイテムをあげたりと援助的な事をしていた。実に不思議なタイプだがその頃は私は何の疑問もなく一緒に遊んでいた。分からない物だ。。。

【Demon】生い立ち

私が生まれたのは神戸という町だ。

都会っぽい田舎で生まれました。。。。


家は貧乏でも、金持ちでもない言わば中流家庭。


親の愛情にも恵まれていると思う。優しく時に厳しく接してくれる両親である。

兄弟は姉がいる。個性的だが人付き合いが旨くはないタイプだ。


親は自営業をしており、私は長男として生まれ親は跡継ぎとして喜んだ。

親の話によると私の幼少の頃は鼻水を垂らしながら、三輪車のような乗り物でどこまでも出かけていく汚らしい子だったと言っていた。

今でも思い出す。父親によく高い高いされて喜んでいたのと、父親によくチュウをしていた事。父親の顔は私の唾液と鼻水だらけだった。


これも又良い思い出でしょう。とりあえず「汚い子供」だったということだ。(@'ω'@)

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