【Demon】青年期 ホストは自分も不幸にする
私はそんな生活を続けていて、気付いた事があった。顧客の金の出所だ。聖ちゃんも学生、そんなお金が有るとは思えなかった。顧客が増えていく一方、いろんな顧客の金の出所が気になった。すると数々の人間が言い出した。
「借金だよ♪」
この現実は恐ろしかった。借金をしてまでホスト遊びに来ている。店としては良いのだろうが、私は耐えれなかった。もう来るなと私は何人にも言った。しかし、来ることを辞める奴はいなく、そのうちお金が無くなり、水商売へ、やがて風俗へと金の稼げるところに客は移動しはじめた。
そしてトドメだったのだ聖ちゃんである。私と会いたいが為にホテル代を出すと言ってきた。
私は断ったが
「それじゃ公衆便所でもいいからやりたい」
と言い出した。さすがに私も怖くなった。携帯の電源を切り、何時間か経った後に電源を入れてみた、その瞬間電話が鳴る。
留守番に切り替わりメッセージが入れられているようだ。私は息をのんで、再生してみた。
「聞いてるでしょ。。。。。出るまでかけるからね。。。。」
その瞬間また携帯が鳴る。私はすぐに電源を切り、携帯は解約。いつか殺されると思った。
しかし私はもう人を騙すのも辛くなっており、今思えばズルズルとホストをするより辞めるきっかけが出来て良かったと思っている。人の気持ちを利用するなどやはり仕事でも良い気はしない。
私は「ニョ」さんに辞めると言って辞めた。こうしてホスト生活は終わった。
追記
後日TVを見て分かったのだがその時の私たちのボディーガード役をしていた。空手家の人がプロレス団体の社長になっていた。よく考えてみたら、店に小室哲哉も来たりしていたようだし、その頃有名どころのAV女優も何人か来ていた。結構有名だったのかも知れない。体験談だが指を男の「アレ」と見立ててくわえてもらった事が有るがAV女優のテクニックは恐ろしい。一度は体験したいものだ。。。
【Demon】青年期 ホスト生活
ホスト生活も一ヶ月も経つと慣れてくる。キャッチでは引っかかりそうな人が分かってくる。意外にも軽そうに見える女の子は、引っかからないものだ。そういう奴はナンパされ金を使わず遊べるからだろう。捕まえたとしてもすぐに来なくなり顧客としては厳しい。意外と普通の大学生の方が引っかかりやすかった。
私はその月の全支店の中でTOPのキャッチ数となった。「誰でもキャッチ」と名付け、目に入る女の子はおばあさんでも声をかけるというゲームをやっていた。こういう事もゲームにしてしまうと意外と楽しめるもんだ。
その時の店長はすごく私をよくしてくれた。店長といっても店ではマスターと呼ばれていたがあだ名は「ニョ」さんだった。今でもホストにしておくのは勿体ない位のオーラのある人だった。今はどうしているのだろうか。
私はその頃には顧客に溢れ、家に帰る事は無くなっていた。夜は働いて仕事が終わったら客とホテルのサービスタイムで寝る。そんな生活が続いていた。給料は安かったが、客からのもらい物は高価な物もあった。しかもお金は使うことは無く、貯まる一方だった。
その中でも聖ちゃんにはよくお世話になった。聖ちゃんの実家にまで行って遊んだ事もある。聖ちゃんは普通の大学生。見た目は今で言うガングロコギャル風な感じだろう。
聖ちゃんには酷いことしかしていない。その時の私は女の変わりがいくらでもいたからだろう。恋愛なんて興味は無く。ただ性行為が、あるか無いかだけだった。
【Demon】青年期 ホストになる。
やることの無くなった私はさらに暗闇に憧れるようになった。
とにかくお金が欲しかった。だから高給というイメージでホストをした。
神戸の三宮をいう町だ。
しかしホストの世界は想像を絶するものだった。
イメージではきらびやかで給料の良い仕事だったのだが、割が合わないのは働いたら分かる。
まず上下関係がものすごく厳しい。
私はその時17歳だった。保健書のコピーを書き換え採用に至った。今考えれば怖いことしている。。。
まず出勤して最初の仕事は便所掃除。かなり綺麗にしないと激怒された。トイレはいつでもピカピカだった。便器を毎日毎日磨く。鏡を毎日毎日磨く。テーブルを毎日毎日磨く。
そして買い出し。結構な量の買い出しがある。飲み物はお酒が飲めない人も来るということでジュースも用意。私は酒を飲めないなら来るなと思った。
そしてその後に営業開始。しかしいきなり自分の客はいない。
さてどうするかと。。。。自分で客を捕まえる。。。。それがいわゆる町で見かけるキャッチってやつだ。
最初は声をかけても誰も来ない。私はとにかくかけまくった。渡したチラシを目の前で捨てられたり破られたり、無視なんて当たり前だった。仕事と割り切ればある程度くじけず出来るもんだ。
私は毎日それを繰り返し、夜の世界に浸っていった。店名は「乱」
文字通り私は狂っていったのかも知れない。
【Demon】青年期 そこから道は暗闇へ進む
私は高校も辞め、やることも無くなりどんどん悪いことに拍車がかかっていった。
親に仕事で使うからと言い訳をして単車を購入。
暴走族になっていった。昼間はパチンコ、夜は暴走。それを繰り返した。
特効服を購入しチームを旗揚げ。どんどん勢力を増していった。
その時の友達
親友 和君
幼稚園からの仲間 数人
中学校からの仲間 数人
高校の仲間 鉄君
地元の先輩 数人
地元の後輩 数人
これだけの数の仲間が出来た。私は楽しくて仕方なかった。
しかしそんな暴走族の世界も甘くは無い。私たちの地元は真面目な町と言われており、そんな連中が調子に乗っていると言われるようになり、私たちを気に入らない連中が出てきた。
そいつらは単車を貸せや挙げ句には金を貸せ等
最初は楽しかったが組織化するとだんだんつまらなくなっていった。
【Demon】青年期 高校入学 そして 退学。。。
私は県立の高校に進んだ。その頃にはタバコは当たり前、万引きや原付の窃盗など、昔から想像出来ないほど繰り返していた。幸い成績が悪くないので高校に行けたのだろう。
たいして学力の高い高校では無かったが、それでも公立。それなりに勉強は出来たんだろう。最初の試験も学年では、かなり上位だった。
入学式のこと
高校生の頃には私のたむろっているメンバーも先輩達の地元の暴走族グループとたむろするようになっていた。その中の先輩に高校の先輩もいた。先輩から聞くと入学式に一人はかならず金髪で不良っぽい奴がいるもんだと言っていたので、自分も金髪で入学式に出た。
しかし周りをみると全員黒髪、かろうじて茶髪はいたが金髪は一人もいない。私が入学式には必ずいる一人になってしまったのだ。
私は動物園にいるキンシコウのような目でみんなから見られた。私はただ悪ぶってるだけで喧嘩も強くない。殴られたことは沢山あったが、殴ったことは殆ど無く、ただ弱い奴をカモと思ってるような人間だった。私は目立ちすぎた為後戻りが出来なくなった。
同級生にも嫌がられ、教師にも、もちろん屑呼ばわりされ、先輩にも目を付けられた。教師には「お前なんて通知簿で1を付けるだけで終わる」と言われたこともある。私は学校に行くときは保健室に駆け込むようになり、だんだん行く回数も減っていった。
通学に電車だったが最寄り駅でどこから集まったか分からない連中に待ち伏せされたことも有る。
なんか悲惨な学校生活だった。私はすぐに嫌になり学校を辞めた。
むしろ退学させられたのが正解だろう。はみ出し者に学ぶ場所など何処にも無い。
【Demon】少年期 そして中学校卒業 感動の中終幕
そして時は経ち卒業。私は何かと問題を起こし宮先生には迷惑をかけた。家出をして空き屋に住んでいたときも宮先生は私を捜し回った。宮先生の家に遊びに行ったり、大阪を案内してもらったり、大根おろしをかけたトンカツを食べたり、言い出したらきりがない位、宮先生にはお世話になった。本当に恩師だと思う。
卒業式私は金のメッシュを髪に入れ卒業式に出た。少しでも不良として目立ちたかった。しかしそんな気持ちも卒業式が始まり、どんどん薄れていった。
宮先生は最後の校歌は叫ばず、綺麗に歌うようにと言った。
今まで叫んで校歌を歌っていたので綺麗な物なんて分からない。音程すら分からないのだ。
しかし伴奏が始まる。
ここで不思議な事が起こる。奇跡かもしれない。
全く普通に歌えるのだ。しかも声も今までの校歌で声帯が鍛えられたのか、大きくはっきりしていた。さらに音程もみんなの気持ちが一緒になり綺麗にまとまった。
本当に凄かった。保護者も絶賛。感動の一場面となり涙が伝わっていくようだった。
私は泣き出しそうな自分を我慢し悪ぶっていたが、視界はだんだん曇っていった。
こうして私の中学生活は終わり。麻に第二ボタンを渡し、私は学校を後にした。
その後少し経ち、麻とは別れることになった。なぜかは覚えていない。。。
【Demon】少年期 異性に興味を持つ。。。麻との出会い。。。
私はクラスメートの一人の子に恋をした。
しかしその記憶はあまりにも残っていない。初めての恋愛で初めての彼女だったのだが、名字は覚えているが名前も思い出せない。ただ思い出せるのは付き合えた時の喜びと映画は「サンタクローズ」を見たことそしてバレンタインに何も貰えず結局分かれようと言われ、悲しかった思い出。ただそれだけだ。
初めての恋愛なのに不思議な物で二番目に付き合った子の方が覚えている。
二回目に付き合った子は2歳下の後輩の「麻」だ。私はその子には感謝している。麻との出会いは運命だったのかも知れない、それは後で分かる時が来る。
私の事に興味がある生徒がいると聞いて会ってみると麻の事だった。私は先輩だしクールを気取っていたので平然な顔をしていたが内心は浮かれ気分だった。私の周りの連中も後輩と付き合いだし、私と麻も付き合うようになった。学校の放課後はいつでもみんな一緒だった。
ある日友達の一人、山君の親はスナックの経営をしており、そこに各彼女を連れ遊びに行った。もちろん麻と私も一緒だった。会話は弾み、王様ゲームが始まった。こういう類のゲームはエスカレートするものだ。最初は他愛も無い、命令ばかりだったが「キス」と誰かが言い始めた。
この王様ゲームは各彼女とキスをするような暗黙のルールが出来ており、自分の彼女でない人と当たった場合は手にキスとかになっていた。
そしてついに私と麻に命令が下った。「30秒間キス」と誰かが言った。
私と麻は従いキスをする。すっごく恥ずかしかった。ゲームでキスをするなんて全く考えて無かった私はそのまま従うしかなかった。私は自分を強がって見せていたので、なんて事無いって感じで振る舞ったが、内心は例えようの無いほど舞い上がっていた。
それが私と麻のファーストキスとなる。
【Demon】少年期 恩師を裏切る
私は恩師が担任になってから自由気ままに生活していた。成績はそれでも上位の方にいた。そもそも勉強は出来ない訳じゃなかったからだ。
そんななか中学生活も終わろうとしていた時、言えば受験前の時期だろう。私はタバコを吸っていた。
廃ビルがたまり場となっていた私たちはあたかも当たり前のようにそこに、たむろしていた。
そこで通報が入ったのだ。私たちは知るわけも無い。廃ビルに先生が乗り込んできた。
そこには真っ赤な顔をした宮先生がいた。私のくわえていたタバコはポロッと足下に落ちた。
私は宮先生と親と教室に詰められた。
先生はずっと机の上に置かれた私のタバコとライターを見ていた。
10分。。。。。20分。。。。。。
宮先生はずっとタバコを見ていた。何も話さないし怒らない、もちろん身動きもしない。
ただ目の前でずっとタバコを見ていた。
私も親も無言。何時間たっただろうかすごく時間が長く感じた。教室の時計の音だけが静かに響いていた。
私はどうしたら良いのか分からなかった。迷った。
とその時宮先生が急に泣き崩れた。それはあまりにも予想外で私は心底驚いた。
宮先生は言った。私にはガッカリしたと。。。。
私はその時初めて気付いた。宮先生を裏切ってしまった事を。。。。
【Demon】少年期 恩師は暴力教師
宮先生は私たちの学年が入学すると共にやってきた教師だった。宮先生は他の先生とは違っていた。私は特別ひいきにされていたと言う人間もいたが、私はそうは思っていない。その時私がバレー部のような顧問のような先生ばかりと思っていたら、それこそ大人を信用出来なくなっていただろう。大人にも気持ちが通じる人がいたのだ。
しかしその時の私は子供だった。気持ちに甘える事はしたが応えることは出来なかった。
学級会で私についての議題が出るくらいだった。しかしそれくらい私の事を真剣に考えてくれた先生だ。今の学校社会にそれほどの先生はいるだろうか。
宮先生は、ある意味暴力教師と言われていた。生徒に往復びんたを何十発も打ち鼓膜を破った事があったからだ。その時の情景はすごく記憶に残っている。原因は私にもあるからだ。
宮先生は音楽の先生だった。校歌を真面目に歌わなければ激怒する先生だった。
真面目に歌うと言ってもただ歌う訳では無い。声が枯れても良い、とにかく叫ぶ位声を出し歌うのだ。
保護者から見たら滑稽で嫌がる保護者やPTAもあったようだ。
しかしそれが卒業式では感動に変わるのをその時誰も分からなかった。
私とクラスメートが校歌を歌ってる最中に無駄話をしていた。すると宮先生はそのクラスメートを呼び出し全校生徒の前で往復ビンタを繰り返した。次は私かと思ったがそこで私は呼ばれなかった。クラスメートはグッタリと倒れ込みそのまま保健室へ。その後は病院へ。。。
後で呼び出しされ、私もそうなると覚悟した。しかし私は静かに真面目に歌ってくれと言われただけだった。しかしその言葉は重く、私は殴られたら反発していただろう。むかついていただろう。私にはその言葉がずっしりと心に響いた。私はそれ以来校歌でふざけたことは無い。校歌をこれほど真剣に歌える学校もそんなに無いと思う。
馬鹿らしいと思うかも知れないが今でも私は誇りに思う。
【Demon】少年期 恩師との出会い
私はそうやって虐めからの脱出に成功した。その方法がもちろん後になり悲劇を生むわけだが、私の気分は最高だった。虐めの実態は後で語ると周りはそんな物は無かったと言う。
虐めてる方は虐めてる感覚が無いということは本当のようだ。
ならば虐められるくらいなら虐める事が可能な人間になったほうが良い。
あくまでも可能な人間ということだ。そうすることが正しい事ではない。
その時の友達
親友 和君
幼稚園からの仲間 数人
中学校からの仲間 数人
私はそれでも嬉しかった。普通に笑えること、気にしないで話が出来ること、本音が言えること。
しかもそれだけでは無く、恩師が出来た。人生において恩師と呼べる先生は誰にでも出来る物でも無いだろう。私はそれは今でも幸せに思える。
恩師は 宮先生。